生きてさえいれば、人生はまた輝くから。
“再発”を受け止めた今、伝えたいこと。
何か目標に向かって走っている時は、とても楽しい。でも、もしかしたら体は何かメッセージを発しているかもしれない。
自分の体と向き合い、その声に耳を澄ませること。その大切さを教えてくれたのがウェルネスブランド roun(ラウン)のアンバサダーを務めるプロスノボーダーの中村陽子さんでした。
2017年3月に乳がんが見つかり、手術を受けた中村さん。スノーボードを通して、早期発見の重要さを発信し続けています。
―中村さんはご自身で胸を触ってしこりを見つけたそうですね。
中村:告知されたのが36歳の時でした。子宮系の検診は2年に一度のペースで受けていましたが、自分が大きな病気にかかることなんてないだろうと思っていました。でもある時、テレビ番組で著名人が乳がんになったということを知って、速攻で検診に行ったんです。その時は何も見つからなくて安心していたのですが、2年ほど経ってからまたある番組で著名人の乳がん体験のエピソードを見て。もしやと思って自分の胸を触ってみたら、明らかにしこりっぽいものがあったんです。それですぐに病院に行って。

―病院ですぐに乳がんと診断されたのですか?

―その1ヶ月後に腫瘍を部分切除する手術を受けられましたね。術後はどんなふうに過ごしていたのですか?
中村:部分切除だったので、すぐ元の生活に戻れました。ただ手術がスノーボードのシーズンの真っ只中だったこともあって、予定していたアラスカ遠征にも行けなくて。やりたいことができなくて、すごく悔しい思いでした。お医者さんからは再発のことも考えると放射線治療やホルモン剤の服用をするのが標準的な治療だと言われました。でも身近に乳がんを経験し完治し元気に過ごしてる方や、入院中に放射線治療をしたけれど、再発し全摘をすることになった方の話を聞いたり、ホルモン剤の副作用のことを調べたりして、何が自分としてのベストな判断なのか、とことん考えました。結果、私はどちらもしない選択をしました。お医者さんからは、「本当は予防治療をした方がいいですが、ご本人の意思で選択しないということで、もしないとは思いますが万が一、何かあっても自分の決めたことに後悔はしないでくださいね。」と言われ、経過観察をしっかりしましょうということで、半年に1回、乳がん検査をするという生活を続けていました。

―手術から8ヶ月後の12月には「早期発見の大切さ」を伝えるためのスノーボードイベント「Ride for New Gun」を開催しましたね。そこにはどんな思いがあったのですか?
中村:乳がんになったことを公表しないでおくこともできました。ネガティブなことが嫌いなので。でも、隠す必要もないよなと思って。「私、実はがんになっちゃったけど、早期発見だったから元気に復活できたよ!」ってポジティブに公表すればいいんだって。入院中に何か使命感を感じましたね。まさか自分ががんになるとは思ってもいなかったけれど、当時は11人に1人、今は9人に1人と言われていますが、それくらいの女性が乳がんを患うという確率を考えると、他人事ではないでしょって。私の場合はテレビに出ている著名人だったけれど、私のようなもっと身近な人間が乳がんになったと知ってもらえたら「乳がんも早期発見であれば、適切な治療をすれば大丈夫だから、セルフチェックや検診に行くことが大事」ということを伝えたかったんです。その私の経験と思いに賛同してくれたスノーボードの仲間たちが「Ride for New Gun」に協力し、開催することができました。本当に「早期発見でラッキーだった!」って今も思います。あの時、何気なくセルフチェックしたからこそ、また元気にスノーボードができているので。

―今回、〈roun〉にピンクリボンキャンペーンをしようと提言してくださったのは、ほかでもない中村さんでした。何が背中を押したのでしょうか?

―セルフチェックをしたことがない人、検診を躊躇している人もいると思います。そんな人には、どう声をかけますか?

―未来の自分のためにというのは、素敵ですね。

SPECIAL MOVIE
“好きなことがあるから、笑顔で前へ“
乳がん経験者スノーボーダー
中村陽子
Profile
中村 陽子 / Yoko Nakamura
2001年 大学2年生の冬にスノーボードを始め、2005年ハーフパイプのプロ昇格。2009年27歳の時、大腿骨骨折を機にフリーライディングに転向すると、2012年アラスカで開催されたWorld Freeride Championshipsに挑戦し2位、翌年の同大会では見事優勝を果たす。2017年からはムービープロジェクトHeart Filmsに参加して国内外でバックカントリーの撮影を中心に活動している。