“好きなことがあるから、笑顔で前へ“ 乳がんを経験したスノーボーダー・中村陽子
  • Interview : Yuriko Kobayashi
  • Photographs : Ranyo Tanaka

2024.11.1

プロスノーボーダー 中村陽子さん
―中村さんはご自身で胸を触ってしこりを見つけたそうですね。
中村:告知されたのが36歳の時でした。子宮系の検診は2年に一度のペースで受けていましたが、自分が大きな病気にかかることなんてないだろうと思っていました。でもある時、テレビ番組で著名人が乳がんになったということを知って、速攻で検診に行ったんです。その時は何も見つからなくて安心していたのですが、2年ほど経ってからまたある番組で著名人の乳がん体験のエピソードを見て。もしやと思って自分の胸を触ってみたら、明らかにしこりっぽいものがあったんです。それですぐに病院に行って。
プロスノーボーダー 中村陽子さん
―病院ですぐに乳がんと診断されたのですか?
中村:それが、思った以上に時間がかかるものなんですね。最初のマンモグラフィでは何も見えず、同日行った触診とエコーで「何かあるね……」となって。局所麻酔下で太い針を胸のしこりに刺して組織を採取する組織診をして初めて、悪性腫瘍という結果が出るまでに、約1ヶ月かかりました。自分でしこりに気づいたこともあって、「がんかもしれない」という疑惑がずっと心の中でモヤモヤしていたので、ある程度覚悟はしていたので告知の時には「やっぱりな」という心境でした。その後、検査が進められて、ステージやがんの性格などがわかったのですが、結果はステージ1の浸潤がん。浸潤がんとは、乳管を破ってがん細胞が外へ飛び出してしまった状態で、それにより血管やリンパ節から全身に広がり転移などを起こす可能性があるものでしたが、幸いにもリンパ節の転移や他の臓器への転移がなく、がん細胞の増殖能力が低いタイプとのこと。それを聞いて、「よかった〜!!」って。ショックももちろんありましたが、それ以上にラッキーだったなという思いが強かったです。
プロスノーボーダー 中村陽子さん
―その1ヶ月後に腫瘍を部分切除する手術を受けられましたね。術後はどんなふうに過ごしていたのですか?
中村:部分切除だったので、すぐ元の生活に戻れました。ただ手術がスノーボードのシーズンの真っ只中だったこともあって、予定していたアラスカ遠征にも行けなくて。やりたいことができなくて、すごく悔しい思いでした。お医者さんからは再発のことも考えると放射線治療やホルモン剤の服用をするのが標準的な治療だと言われました。でも身近に乳がんを経験し完治し元気に過ごしてる方や、入院中に放射線治療をしたけれど、再発し全摘をすることになった方の話を聞いたり、ホルモン剤の副作用のことを調べたりして、何が自分としてのベストな判断なのか、とことん考えました。結果、私はどちらもしない選択をしました。お医者さんからは、「本当は予防治療をした方がいいですが、ご本人の意思で選択しないということで、もしないとは思いますが万が一、何かあっても自分の決めたことに後悔はしないでくださいね。」と言われ、経過観察をしっかりしましょうということで、半年に1回、乳がん検査をするという生活を続けていました。
プロスノーボーダー 中村陽子さん
―手術から8ヶ月後の12月には「早期発見の大切さ」を伝えるためのスノーボードイベント「Ride for New Gun」を開催しましたね。そこにはどんな思いがあったのですか?
中村:乳がんになったことを公表しないでおくこともできました。ネガティブなことが嫌いなので。でも、隠す必要もないよなと思って。「私、実はがんになっちゃったけど、早期発見だったから元気に復活できたよ!」ってポジティブに公表すればいいんだって。入院中に何か使命感を感じましたね。まさか自分ががんになるとは思ってもいなかったけれど、当時は11人に1人、今は9人に1人と言われていますが、それくらいの女性が乳がんを患うという確率を考えると、他人事ではないでしょって。私の場合はテレビに出ている著名人だったけれど、私のようなもっと身近な人間が乳がんになったと知ってもらえたら「乳がんも早期発見であれば、適切な治療をすれば大丈夫だから、セルフチェックや検診に行くことが大事」ということを伝えたかったんです。その私の経験と思いに賛同してくれたスノーボードの仲間たちが「Ride for New Gun」に協力し、開催することができました。本当に「早期発見でラッキーだった!」って今も思います。あの時、何気なくセルフチェックしたからこそ、また元気にスノーボードができているので。
プロスノーボーダー 中村陽子さん
―今回、〈roun〉にピンクリボンキャンペーンをしようと提言してくださったのは、ほかでもない中村さんでした。何が背中を押したのでしょうか?
中村:実は、昨年の秋に乳がんの再発が見つかり、10月に手術を受けました。前回の手術から6年目での局所再発でした。今回はCT検査でしこりが見つかりました。結果は幸いにもステージ0の非浸潤がんでしたが、2回目ということもあり、乳房の全摘手術を選択しました。「非浸潤がんだから再度部分切除で済むのでは?」とも思っていましたが、医師からはリスクを考えると全摘を強くお勧めしますと。なかなか踏ん切りもつかず、ものすごく悩みました。やっぱりシンプルに嫌じゃないですか、おっぱいがなくなっちゃうって……。でも色々調べるうちに、再発はやっぱり恐ろしいと。もし温存して次にまた再発したら、他の臓器へ隔転移をしてしまったら、今度こそ命に関わるかもしれない。ずっとその心配や不安がつきまとうのであれば、少しでも安心して生きたいと思って。そう考えたら全部とっちゃおうって決心できました。
一度がんを経験した人は、再発が一番怖いと思うんですよ。なので、再発をしてしまったということを公表するのは勇気がいって、今回初めて公にします。再発予防をしないという前回の自分の選択に後悔はありませんが、結局自分が一番がんを舐めていたなと。だけど、ステージ0の超早期発見。またまたラッキーだったんですよ。前回とは比べものにならないくらい、健康でいることって本当に奇跡なんだなって感じていますし、だからこそ、みんなに自分の体をおろそかにしてほしくない。それで体のケアという面でお世話になっているrounと一緒にキャンペーンという形でセルフチェックや検診の重要性をお伝えできたらなと。
プロスノーボーダー 中村陽子さん
―セルフチェックをしたことがない人、検診を躊躇している人もいると思います。そんな人には、どう声をかけますか?
中村:さっきもお話しした通り、健康でいることって奇跡的なことだと思うんです。今や日本人の2人に1人ががんになると言われていて、これって誰にでも病気になる可能性はあって、万が一、それが降りかかってしまったら、自分が大切にしていること、夢中になっていることができなくなってしまう。それどころか命を脅かされるんです。その悔しさや恐ろしさって、本当にすごいんですよ。中には「仕事が忙しくて、体のことは二の次」という人もいるかもしれませんが、それは逆。仕事が忙しいから、大切だから、楽しいから、それをずっと元気にやり続けるために、自分の体の状態を知って、大切にする。周りの大切な人たちにも悲しい思いをして欲しくない。そんなふうに未来の自分のため、大切な人たちのために、前向きな気持ちで体と対話してほしいですね。乳がんは自分で触って見つけることのできる唯一のがんで、セルフチェックで発見される乳がんの割合は約7割なんです! セルフチェックは検査より気軽で、いつでも行えます。パートナーとも乳がんの話をして、一緒にチェックしてもらうのもいいと思います。
プロスノーボーダー 中村陽子さん
―未来の自分のためにというのは、素敵ですね。
中村:今回の再発と手術を受けて、落ち込まなかったと言ったら嘘になります。でも私、とにかくスノーボードが大好きなんです。大切な家族や仲間や友達がいて幸せなんですよ。これからもスノーボードで挑戦したいこともスノーボード以外でもやりたいことはたくさんあるし、大切な家族や仲間や友達と笑っていたい。なっちゃったものは仕方がない、克服するしか、ないんですよ。そんな気持ちにさせてくれる存在があったから前を向く原動力になる。好きなこと、夢中になれることがあったからこそ、今の自分がある。今後もそれを続けていく未来の自分を想像することができた。だから前を向ける。そう思うと好きなことがあるって、すごいことですよね。好きなこと、やりたいことができる未来の自分のために、セルフチェックからはじめてみませんか?
プロスノーボーダー 中村陽子さん

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  • Profile

    中村 陽子 / Yoko Nakamura

    2001年 大学2年生の冬にスノーボードを始め、2005年ハーフパイプのプロ昇格。2009年27歳の時、大腿骨骨折を機にフリーライディングに転向すると、2012年アラスカで開催されたWorld Freeride Championshipsに挑戦し2位、翌年の同大会では見事優勝を果たす。2017年からはムービープロジェクトHeart Filmsに参加して国内外でバックカントリーの撮影を中心に活動している。

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