ずっと続けるために、走る前からリカバリー。| プロトレイルランナー 井原知一
  • Interview : Toshiya Muraoka
  • Photographs : Satoko Imazu

2024.08.27

「生涯で100マイルを、100本完走」という壮大な目標を掲げ、国内外の大会に参加している“トモ”さんこと井原知一さん。1本走っただけでも一生の宝となるような100マイル(約160km)のレースを既に74本完走している。日々の挑戦は、そのままトモさんのライフスタイル。どんな思いを抱えながら、山へと足を運んでいるのでしょう。
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―現在、100マイルを74本走っていて、残り26本まで来ています。もうゴールが見えていますか?
井原:そうですね、見えてきたなとは思いますが、それでも年間5本としてもあと5年。今、47歳だから52歳で達成できるかなと考えると、まだ長いですよね。
―「途中から100マイルを長いと思わなくなった」というインタビューを読んだことがあります。もう100マイルが長いという感覚はないんですか?
井原:あんまりないかもしれないですね。ただ、うまくいってもいかなかくても、つらい感覚はありますね。一本走っている時間はおよそ24〜48時間ですけど、だいたい3ヶ月から半年かけてそのレースに向けて練習しているわけで、諦めてしまうとその時間が無駄になってしまう。だから意地でも完走したいとは思っているし、やっぱり100マイルみたいなウルトラレースは、つらさもパッケージなんですよね。痛い、眠い、痒い、それこそがウルトラ。プラスして、極地に行くほど、知らない自分を知って、新しい境地に行ける。レース中は本当に苦しいんですけど、やっぱり終わってみると、走ってよかったなって毎回思うから。
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―74本走っても、知らない自分に必ず会えるんですか?
井原:つらさだけでなく、肉体的にどれほどトレーニングしても、雨が降って足の対応をきちんとしないとマメができるし、胃腸障害があったりするし、毎回いろんなハプニングが起きます。その一つ一つのカテゴリーの深みにはまっていったりもする。タコ足のようなそれぞれの深みに、今回はこっちにハマってみたり、その組み合わせのバリエーションは無限にあって。だから100マイル100本目指そうと思ったんですけど、やり終えたらやりたいのは、101本目を走ること。200マイル200タイムスみたいなことも考えたんですけど、流石に非現実的なので、とにかく100マイルをずーっと続けて、90歳で100マイルを走るっていうのが僕の一番遠い目標。そこまでに何本走れるかは、もうあんまりこだわりがない。
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―その壮大な目標のために、逆算して今のトレーニングを考えているんですか? それとも続けていった先にあるものと捉えていますか?
井原:人間誰しも人生でコップ一杯分の体力があると思っているんですね。それを急激に注ぐ人たちは、1〜2年でドカーンと成長できる。でも僕はやっぱり低く浅く、その水をなるべく90歳までっていうイメージでやっています。その配分がうまくいっているかどうかは、やってみないとわからないけど、ずっと走り続けたいんです。例えば、今日生まれた子が、僕が90歳の時には43歳です。タイムは違うだろうけど、一緒のスタートラインに立って走り出せるって、すごく魅力的だなと思います。僕はまだウルトラを始めて14年しかやってないんですが、これから43年間ですから、まだ3倍もあるって考えると、どんなことが起きるのか楽しみでしょうがない。
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―肉体もさることながら、精神的な強さこそがトモさんの走りを支えているのでしょうか?
井原:そうですね、僕は単純なのかもしれない。あまり余計なことを考えないというか。どうなんだろう? 人と比べられないからわからないけど、ウルトラをやり続けてきたことで成長しているとは思いますね。過去に「本当にもう最悪だ、辞めたい」って思ったレースがあって、結局は続けて完走したんですけど、どんな状況も「あの経験に比べたら大丈夫」みたいな自分が今ですね。つらい経験をしておくと、その閾値が上がるって言うのかな。そこまで行かない限りは、折れないってわかっているから。
―その「最悪」だった経験はいつ頃のレースですか?
井原:14本目かな、アメリカの〈Angeles Crest100〉っていうレースです。前年に初めて走って5位になって、翌年は優勝するんだと意気込んで出場したら、50マイル地点で潰れてしまった。10kmを6時間かけて吐きながら進んでいって、最後はもう吐くものがなくて、吐くとしたら目ん玉しかないというぐらい吐いて。自分が吐いた地面に顔がついているんですよ。本当だったら臭い、汚いって感じるはずなのに、もうここで寝かしてくれ、と。もうやめるぞと思いながらどうにかエイドステーションにたどり着いたら、サポートをしてくれていたLA在住の友人が「やめちゃダメだ」と。「あなた100マイル100本やるとか調子のいいこと言ってるけど、残りの80何本でも、これ以上につらいことがあるはずで、あなたどうやってやるの?」みたいなことを言われて。「今日寝て、明日鏡を見たら、絶対に後悔するわよ」って。それで「わかりました」と。
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―めちゃくちゃ厳しくて、でも愛がある一言ですね……。
井原:彼女の知り合いの看護師に点滴を打ってもらって、それで4時間後に起きたら朝になっていたんですね。僕よりもずっと年上のおばあちゃんが、腰の曲がった状態で進んでいるのを見て、これは俺もやめられないなって。牛歩で進んで、なんとか完走。それはすごくつらかったですけど、今でも思い出します。
―何年かに一度、そういった強烈な記憶に残るレースがあるんですか?
井原:ありますね。毎回ガチャガチャを回しているようなもので、「うわっ、今回すげえの出てきた」みたいな。73本目に走った〈MASSANUTTEN MOUNTAIN TRAILS100〉でもトップを狙っていたのに結局潰れてしまって、十何位っていう結果だったんですが、100km地点で現地のレジェンドであるギャリーというおじいちゃんに会ったんですね。ギャリーは100マイルを100本近く走っていて、でも脳溢血で倒れて、もう走っていないんです。今も言葉がちょっと辿々しいけど、僕の肩を掴んで、「お前、ここまで来たか。あともう一箇所厳しいところがあるけど、そこを越えたらお前はもう大丈夫だから」みたいなことを言ってくれたんです。
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―すごい。言葉の重みが違いますね。
井原:「ああ、俺はこの人になりたいな」って思ったんですね。自分が90歳で100マイルできたら、自分も走るけど、若い世代に対して「頑張れ」って一言伝えるだけで、その子たちが頑張れるような存在になりたいって。で、そこからの60kmはつらいながらも、そのモチベーションだけで完走できた。だから苦しみもつらさも楽しみも全部経験していくと、ギャリーみたいにどんな状況でも「頑張れ」って言える人間になるのかなって。まさかレースに出る前に、そんなことが起きるなんて思わない。でも開けてみたら、トップにはなれなかったけど、それよりも大きいものが得られたわけで、だからガチャガチャで言うと、「おお、すげえの出てきた」と。
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―どのレースにも、大なり小なり何かある、と。レースに出続けるために、大切にしていることはありますか?
井原:次のフェーズに移行するためには、できるだけダメージが少ない方がいい。だから、終わってからリカバリーをスタートするのではなく、走る前から、走っている最中からリカバリーをするっていう考え方をしています。だから〈roun〉のスポーツバームも、前夜に塗って寝て、終わった後にも塗る。今までは日焼け止めも全く塗ってなかったんですが、そうすると火照って疲労が抜けないから、塗るようになりましたね。CBD入りの日焼け止めはまさにリカバリーしながら、日焼けを防ぐもの。去年アメリカのグランドスラムを走った時には、3ヶ月半で100マイル5本なので、レース中にリカバリーしないと間に合わないんです。レース前にちょっとケアするだけで、回復の期間がギュッと短くなる気はしてますね。
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―睡眠に関してはいかがですか?
井原:僕は旅先に必ず枕を持っていくんですね。それさえあれば大体、何もしなくても眠れるけど、レース前にはCBNのグミを摂ってます。コーチングしている生徒さんでも、次の日レースなのに寝られない人が多いんです。せっかく長い期間練習してきたのに、寝られなくて大事な一日の調子が悪かったらもったいない。ウルトラは睡眠にすごく左右されるから、グミを食べてます。これも走る前からリカバリーを始めるっていう考え方に通じているかもしれないですね。
  • Profile

    井原 知一/ Tomokazu Ihara

    1977年生まれ。2010年、多摩川河川敷のオリジナルコース160kmを皮切りに、平均して年間5本ほどのペースで国内外の100マイルレースに参戦。現在、74本を走っている。世界有数の過酷なレース〈Barkley Marathons〉への出場も続けている。ランナーへのオンライン・コーチングを行う「TOMO’S PIT」代表。
    TOMO'S PIT https://tomospit.com/

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