年齢を重ねても滑り続けられる身体を、この先もキープし続けたい。| スノーボーダー 中村陽子

2023.08.28

日々移ろう環境変化の中にある、私たちの身体。そんな目まぐるしい変化にもしなやかに対応し、健やかに生きる人々をピックアップ。今回登場いただくのは、二度の大腿骨骨折や足の甲の靭帯断裂、そしてステージ1の乳ガンと幾度も怪我と病魔に悩まされながらも、常にポジティブに自分の身体と対峙することで壁を乗り越えてきたスノーボーダーの中村陽子さん。他の誰でもない、自分だけの滑りを追求し続ける彼女の身体を整える術とは。
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脚に痛みのある状態が
「通常」だった十数年間。
―自然地形を滑るバックカントリーと、人工的に作られたハーフパイプでは動きが大きく変わると思います。フリーライドに移行した当時、身体の使い方で意識していた部分はありますか?
ハーフパイプをやっていた頃から、シーズン初めからパイプのオープンまでの1ヶ月は毎日ホームゲレンデの札幌国際スキー場でパウダーを滑り込んでいたので、フリーライドに転向するのは自然な流れでした。ただ、バックカントリーは自力で山を登らなければならないので、最初はテクニックというよりも山の知識と体力が必要だった。筋力はハイクアップを繰り返すことで自然とついていきましたが、当時私の場合、大腿骨骨折の後遺症のような疼痛や違和感が常にある状態のまま滑り続けていたので、0をプラスにするトレーニングよりも、マイナスをキープするか、もしくはできるだけ0に近づけることを意識していたと思います。

疲れが溜まっていると感じたら無理せず休む。あとはアミノ酸を摂取したり、チタンテープを貼ったり。実は、毎日のコツコツ筋トレやケアが本当に苦手で、それでもストレッチはしていたけれど、今思えばケアが追いついてなかった状態でした。シーズン中は常にびっこを引いていましたね。
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―身体に違和感を抱えながらも、2012年にアラスカで開催されたWorld Freeride Championshipsでは初出場で2位、翌年の同大会では優勝していますよね。
どれだけ自分の滑りが世界で通用するかのチャレンジでした。しかも初めての海外のスノーボーディングで、いきなり岩だらけの急斜面のアラスカで滑れたのは、想像力と適応能力が備わっていたからだと思います。北海道のバックカントリーしかほぼ滑っていなかったけど、海外ライダーの映像や写真を見ては、もし自分が滑ったら(自分のスキルで)というイメージを常にしていました。またそのイメージ通りに滑るにも、ハープパイプで鍛えた総合的な滑走力がベースにあって、あとは斜面に合わせて滑るだけ。アラスカでの経験は、このままスノーボーダーとしてやっていけるという自信がつきましたね。
―その後もアラスカに通いながらフィールドを国内から海外に広げ、2017年にはムービープロジェクトHeart Filmsに参加されています。作品を撮るにあたり、とくに記憶に残っているシーンはありますか?
カナダとアラスカとの国境に位置する氷河に覆われる山岳地帯での撮影ですね。ホワイトパスと呼ばれる峠にテントを張り、そのベースからヘリで自分達が滑る斜面の尾根付近まで連れて行ってもらって滑走するんですが、この21日間の雪上生活がなかなかシビレました。その日のコンディションによって滑れるかどうか、どこを滑るかが決まるし、むしろ滑れない日の方が多い。それでも良い映像を残すために、現地のヘリガイドと撮影クルーとが密に話し合って、斜面に対しての光の加減、地形の具合、天候と常に向き合いながらベストなタイミングでベストな場所に行く。最高に気持ちのいい斜面もあれば、岩肌が見えていて危険な場所もある。でも稜線立ったその瞬間は、いい作品を残したい一心で、私だけのラインを探ることにただただ集中していました。

あとは2019年のカナダでの撮影かな。雪崩に巻き込まれて木にぶつかって大腿骨を骨折する大怪我をしたんです。それが2度目の大腿骨骨折ですね
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―一度目と同じ右脚の大腿骨、ですか。
そうです。1度目の大腿骨骨折からちょうど10年目でした。実は、最初の大腿骨骨折から復活したシーズン明けに、無理をして滑っていたからか右太腿の内側広筋が肉離れをしてしまい、それを10年引きずっていたんです。いきなりその部分が神経からんだ痛みで動けなくなるような。それでも、騙し騙し滑りつづけていて、2度目の大腿骨骨折。ここで、今のリハビリの前田先生と出会って、10年悩み続けていた筋肉の癒着を剥がしてもらったんです。衝撃でした。それから、引き続き筋肉の癒着を剥がすコンディショニングと足りない筋肉を補うトレーニングとを並行したら、スノーボードがめちゃくちゃ調子が良くなったんです。連続して滑れる日数や時間が増えて、今まで衝撃に耐えられないからと諦めていたジャンプも耐えれるようになったのがめちゃくちゃ嬉しかった。痛みがある状態がデフォルトだったので、身体の調子がいいというだけでモチベーションが上がるし、本来目指していたライディングスタイルができるかもしれないという期待とで、まさに怪我の功名なのか、怪我は必然だったんじゃないかと思えるほど、前田先生との出会いは大きかった。

そして、もう一つの出会い。
リハビリと併せてセルフケアのために昨年から取り入れ始めたのがrounの『CBD SPORTS BALM』です。CBD BALMを足全体に塗ったあとにマッサージガンで筋肉をほぐすセルフケアを始めてからは、翌朝の疲れの残り方が全然違う。CBDカプセルやCBNグミも一緒に摂取することで、緊張がほぐれ、心身ともにリラックスして睡眠をとることができるので相乗効果は抜群。以前は、撮影に合わせて疲労を残さないために休みをとって回復をしていたり、撮影もすぐに疲労が溜まって気力でなんとか乗り越えて、撮影が終わったら数日動けず…だったのが翌日パウダーだってなれば滑りに行けるくらい、身体が“もつ”ようにもなりました。
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痛くなったらCBDバーム!が合言葉の
お守りのようなケアアイテム。
―はじめに「コツコツ毎日ケアをするのが苦手」とおっしゃっていましたが、CBD スポーツバームを続けられているのはなぜですか?
実はもう一つCBDスポーツバームに助けられた出来事があって。昨年の夏に、スケートボードをしている最中に足の甲を剥離骨折したんです。リスフラン靭帯という足の指同士を繋ぐ靭帯も断裂していて、繋ぐためには固定する手術が必要でした。5日後に入院と手術日を決めて帰宅すると、まさかのコロナ発症。10日間自宅療養しなければならないので当然手術も延期。痛みや熱よりも、2週間復活が遅くなることがショックでした。だから藁にも縋る思いで、パンパンに腫れた足にCBDスポーツバームを塗りまくったんです。すると塗ったらすぐに回復。これには私もびっくりしました。しかも2週間後の診療で再びレントゲンを撮ると中足骨(足の甲の骨)隙間が怪我直後よりも閉じていて、まさかの手術回避! 最初の3日間の包帯の圧迫固定と2週間安静、ラウンのCBDスポーツバームでこんなに回復するとは!医者もちょっと驚いていましたね。なにより塗るだけなのでとにかく楽!コツコツが苦手な私でも塗るか塗らないかで全然違うから絶対塗ります。それからというもの、どこか痛くした時はすぐにCBDスポーツバーム。虫に刺された時もCBDスポーツバーム。最初の応急処置はCBDスポーツバームで、常にお守りのように持ち歩いています。
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2022年8月 Instagram 投稿
―先シーズンはここ数年で一番調子がよかったとのことですが、コンディションが良い今の状態で挑戦したいことはありますか?
ようやく海外に出られる世の中になってきたので、またアラスカや海外のまだ見ぬ斜面を滑りたいです。自分が滑る斜面に立った瞬間の高揚感。ラインをミスれば死ぬかもしれないアドレナリン全開、全集中で滑り降りる全てを注ぐあの瞬間を経験したい。その中でどれだけ自分が納得できるライディングを残せるか。公開練習なんてない一本勝負の世界。これが本当に難しい。そのためには、「今後も大好きなスノーボード続けられる身体でいること」が今一番の大きな目標かもしれません。バックカントリーは経験値に比例したライディングを魅せることができるし、そういう意味ではまだ未来がある。年齢やその時のコンディションに合わせて滑りを変えていけばいい。ただ怪我の後遺症に悩まされていた30代よりも40代の今が一番調子が良い。こんな日が来るなんて思わなかった。とにかく身体が大事だなと改めて実感できました。

最近強く感じているのは、“何かを始めること”は勇気さえあれば何歳でもできるけど、“何かを続けいくこと”は、実はすごく難しいということ。私自身6年前にステージ1の乳癌を患ったのですが、それが身体について考えるきっかけにもなりました。おかげさまで今は身体も元気だし、日頃かなり動いているほうだとは思うけど、ふとした瞬間に「これってもしかしたら年齢によるものなのかな?」と感じることも正直あるんです。同世代や少し上のライダーたちを見ていても、健康な身体をキープするって簡単ではないなと。身体だけじゃなくモチベーションも。特に女性は30代40代とライフステージにより身体も環境も
変化していくお年頃。私も今後どう変化していくかは未知の世界だけど、それでも好きなことは突き詰めたい。一生付き合う身体と向き合いながら、スノーボーダーとしての自分を貫きたいと思っています。
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    中村 陽子 / Yoko Nakamura

    2001年 大学2年生の冬にスノーボードを始め、2005年ハーフパイプのプロ昇格。2009年27歳の時、大腿骨骨折を機にフリーライディングに転向すると、2012年アラスカで開催されたWorld Freeride Championshipsに挑戦し2位、翌年の同大会では見事優勝を果たす。2017年からはムービープロジェクトHeart Filmsに参加して国内外でバックカントリーの撮影を中心に活動している。

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